2008年01月11日
屋形船勤務
券売の女の子が用事で二日お休みとの事。
そんなわけで水・木曜日と私が券売をすることになりました。
実は以前も何度か担当しましたが、400年祭終了後は初めてです。
彦根城ってこんなに静かだったんだなぁ~と思うばかりです。
とは言えずっと勤務!でもなく。時には写真をパチリと。

屋形船は現在二隻。手前が「万千代丸(まんちよまる)」、奥が「掃部丸(かもんまる)」と言います。
万千代とは彦根藩開祖、井伊直政の幼名「万千代」から、掃部は井伊家歴代藩主が襲名した
「掃部守(かもんのかみ)」という仮名からそれぞれ由来しています。

木曜の昼の写真なんですが、二日ともいい天気でした。
船尾の方に白鳥が居るのがお分かりでしょうか(笑)

運行時間も終わり、停泊所へ引き上げ途中の写真。
左前に見える橋は「表門橋」といいます。これを渡ると彦根城博物館、そして天守閣への道があります。
※彦根城博物館は、元は「表御殿」という彦根藩の藩庁、そして大名屋敷があった場所でした。
※「表」とは彦根城の玄関である、とか中仙道に一番近いから、と言う意味があるそうです。

表門橋から、彦根東高校の前を過ぎると大手門橋が見えてきます。
この大手門は本来、彦根城の玄関口として作られたものでした。
築城当初(1607年)、大手門から直線に京都と大坂が有った為、ここが玄関とされたのです。
井伊家は代々幕府から「京都守護」の役目を与えられ、また幕府の先鋒として、豊臣家を中心にした
反乱が起きないよう監視する役割を与えられていました。1614~15年の大坂の役で豊臣家が滅ぶと、
京都守護の役職はそのまま受け継ぎましたが、表御殿が完成すると共にその役割を譲りました。
橋を渡りきると左にクランクする特徴的な作りになっています。

石垣の上には明治まで櫓が建っていたそうですが、現在は全て解体されています。
現在は石垣に桜が植えられ、春には満開の花弁を咲かせます。
また、犬走り(石垣の上の土塁)にはタンポポなどが咲いています。
小江戸彦根は小春日和でございます。
そんなわけで水・木曜日と私が券売をすることになりました。
実は以前も何度か担当しましたが、400年祭終了後は初めてです。
彦根城ってこんなに静かだったんだなぁ~と思うばかりです。
とは言えずっと勤務!でもなく。時には写真をパチリと。

屋形船は現在二隻。手前が「万千代丸(まんちよまる)」、奥が「掃部丸(かもんまる)」と言います。
万千代とは彦根藩開祖、井伊直政の幼名「万千代」から、掃部は井伊家歴代藩主が襲名した
「掃部守(かもんのかみ)」という仮名からそれぞれ由来しています。

木曜の昼の写真なんですが、二日ともいい天気でした。
船尾の方に白鳥が居るのがお分かりでしょうか(笑)

運行時間も終わり、停泊所へ引き上げ途中の写真。
左前に見える橋は「表門橋」といいます。これを渡ると彦根城博物館、そして天守閣への道があります。
※彦根城博物館は、元は「表御殿」という彦根藩の藩庁、そして大名屋敷があった場所でした。
※「表」とは彦根城の玄関である、とか中仙道に一番近いから、と言う意味があるそうです。

表門橋から、彦根東高校の前を過ぎると大手門橋が見えてきます。
この大手門は本来、彦根城の玄関口として作られたものでした。
築城当初(1607年)、大手門から直線に京都と大坂が有った為、ここが玄関とされたのです。
井伊家は代々幕府から「京都守護」の役目を与えられ、また幕府の先鋒として、豊臣家を中心にした
反乱が起きないよう監視する役割を与えられていました。1614~15年の大坂の役で豊臣家が滅ぶと、
京都守護の役職はそのまま受け継ぎましたが、表御殿が完成すると共にその役割を譲りました。
橋を渡りきると左にクランクする特徴的な作りになっています。

石垣の上には明治まで櫓が建っていたそうですが、現在は全て解体されています。
現在は石垣に桜が植えられ、春には満開の花弁を咲かせます。
また、犬走り(石垣の上の土塁)にはタンポポなどが咲いています。
小江戸彦根は小春日和でございます。
Posted by
K.F.@
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01:08
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