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2007年12月10日
湖東焼

昨夜に続き湖東焼の解説を・・・
(前回)
何故この様な焼き物が彦根に…?
元々は件の絹屋半兵衛が、独自に生産を続けていたのですが、
その芸術性の高さや、藩内のブランド品として井伊家彦根藩の目に留まりました。
大まかに分けると民窯時代が60年、うち20年間は藩窯として
時の藩主、井伊直亮(直弼の兄)と井伊直弼、直弼の息子の直憲の三代に渡り
彦根藩の援助の下焼き続けられたのです。この時期に名器と呼ばれる作品が生まれたとされます。
※その当時の作品は、彦根城博物館・彦根「たねや美濠の舎」内『彦根藩湖東焼 美濠美術館』
にてご覧いただけます。
藩主に愛されただけでなく、その優美さから江戸幕府・朝廷等への貢物としても重宝されたとされ、
もし絶えることなく焼き続かれていたなら、「湖東」と
言えば日本有数の陶器として定着していたかもしれません。
しかし、幕末の激動の変化は湖東焼の運命をも飲み込んだのです。

安政7年3月3日(1860年3月24日)、桜田門外の変で井伊直弼がその生涯を閉じます。
「強硬な開国論者」として志士達に、また勅許(天皇の許可)を得ずに開国を行ったとして朝廷と幕府に
「逆臣」とレッテルを貼られた直弼、そして残された井伊家はそのまま大政奉還~明治維新前後の激動の時代を迎えます。
そんな最中に藩からの援助も打ち切られ、また陶芸家達も政情不安の彦根を発ちます。
湖東焼はその姿を消すこととなったのです。
そして時代の片隅に記録されるのです・・・が
現在NPO 湖東焼を育てる会が彦根市内に発足、
陶芸家の中川一志郎さんと武田克史さんの両名を始めとする方々により再興へと動き始めたのです。
150年の時を経て、生まれたのが「しまさこにゃんぐい飲み」を始めとする再興湖東焼なんですね。
これらの再興湖東焼の数々は、市内キャッスルロードの一志郎さんのギャラリーにて観覧・購入が出来ます。
また、絹屋半兵衛の視点から湖東焼の歴史を追った作品「藍色のベンチャー」という小説もあります。
関心をお持ちになられた方、是非ご一読下さい^^
Posted by K.F.@ at
01:15
│Comments(3)