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2007年12月13日
諸事情につき候

暫しK.F.、雲隠れします(^^;)
また追々、事情は報告しますので〜(汗)
とはいえ、余所様にコメント書いたりはしますがねヽ(´ー`)ノ
ラブコールはなんぼでも受け付けます(笑)
Posted by K.F.@ at
04:46
│Comments(0)
2007年12月12日
始発に揺られて

呑んで呑んで呑んで・・・
気付けば民宿の客室に転がっていた私不肖K.F.で御座います。
何をそんな呑んどったんや・・・
失恋か? いやいやそもそも相手がいない。
「彦根を盛り上げ隊」の忘年会に参加しておったのです。
250日+αお疲れ!・・・の意を込めて皆で酒を酌み交わし・・・
そんな中で来月号の「どんつき瓦版」の編集会議を行ったりも。
来年は大河ドラマ「篤姫」と、彦根の井伊直弼の関わりをクローズアップしよう・・・とか
新しく国の史跡に登録された佐和山「清凉寺」と東近江「永源寺」、東京世田谷「豪徳寺」の歴代藩主の墓の話・・・
410年祭に向けて10年遊ぶ企画・・・大きな青写真が出来上がってきました。
参加者の中には、噂のひこにゃん調教師、D.K.さんとK.T.さんも居られました。
二人とも杯を交わし・・・呑んで呑んで二次会まで呑みました(笑)
D.K.さんは洋楽好き・・・K.T.さんは浜省が好き・・・そして肩を組んでデュエット・・・
ひこにゃんは来ないの?と聞いたらよかったな(笑)
そして一緒に活動したメンバー総勢40名・・・
とても全員は回れませんでしたが;今までの労を労い合いました。
「来年どうすんのぉ!?」
「来年決めるわ(笑)」
これは頂けない^^; 今のうちに構想だけでも作っておかないとよ・・・。
まあしかし、彦根にこんなに人が集まるとは思いませんでしたよ。
どこにでも代わった人はいるが(笑) 彦根を盛りやかす為にこんなに大勢の人が集まるもんだなぁ、と思いました。
どこまで我々の念が、彦根を動かせるのか・・・
なんか道筋が見えないでもない・・・
しかし二次会になればもうグデングデンです

酒で潰れた方を、酔っ払いの私がおんぶして担いでいく不思議な光景(笑)
Kちゃん、彦根城のアイドル(自称)がいいのか、こんなことで

因みに酒は二次会では一切飲まず・・・
宴会部長、マイク片手に大暴れしてきました!
D.K.・T.K.・K.F.によるChange the world(Eric Clapton)とDon't look back in anger(OASIS)を・・・
もうね、ひこにゃんファンの皆さん申し訳ないです。
ひこにゃんとのコラボ以上にこれはよかった

このコラボ、もう市役所でも見られないんだよな・・・
また飲み会やりましょうぜ、お二方・・・
さて、そんなお二方と別れ、次のショットバーへ・・・
こんなきつい酒飲めないですよ、というくらい呑んで呑んで・・・頭イテエ(笑)
まだ可愛がって貰える年齢・・・という歳でもなくなってきた。
次は僕が後輩を育てなきゃイカンという現実も、ひしひしと感じてくる話をして・・・。
来年からどうしようとも、何か彦根と繋がりをもっていたい!
年代で言えば420年祭の頃には・・・俺が暴れるぞ!と思う一夜でした。
しかし時間は3時・・・
終電もないし、外は凍える寒さである・・・
そこで盛り上げ隊メンバーの方の民宿で一泊・・・
朝風呂と朝飯まで頂いてきました^^; コストパフォーマンスは最高でした・・・ありがとうお父さん!(ちゃうちゃう・・・)
そして河瀬に降りると良い具合に朝日が・・・
久々にこんな良い朝を迎えたぜ・・・
しかし気付くと財布の中身がスッカラカン(笑)
いかん、また稼がねば・・・ 続きを読む
Posted by K.F.@ at
10:04
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2007年12月11日
インタビュー
こんな時間にブログの話とかすんなよ〜
と思わないで下さい…
9時半に寝て、 2時に目が覚めたのです…
※お陰で松尾潔のラジオの時間に間に合った(^o^)
再来週の金曜日、朝日新聞さんに私のインタビュー記事が載るそうです。
400年祭で活躍した学生を取り上げたい!との事…有り難いことです。
しかし私で良いのでしょうか(^^;)もっと活躍していた人はいるんですよ、すぐ近くにも…
個人としてではなく、サークル代表という形なんで、ヘルメットメインな記事になりそうです。
にしても…カメラを前にするのは苦手だな〜(^^;)
レンズが潰れる、じゃなくて(笑)カメラの前に立つと硬くなっちゃうんで…
撮るのも撮られるのも嫌いじゃないけど、どうも畏まった写真だけはな〜
証明写真も、度々撮り直してしまうしね…
さて、今日は市民ボランティアの忘年会o(^o^)o呑むぞ呑むぞ〜♪
と思わないで下さい…
9時半に寝て、 2時に目が覚めたのです…
※お陰で松尾潔のラジオの時間に間に合った(^o^)
再来週の金曜日、朝日新聞さんに私のインタビュー記事が載るそうです。
400年祭で活躍した学生を取り上げたい!との事…有り難いことです。
しかし私で良いのでしょうか(^^;)もっと活躍していた人はいるんですよ、すぐ近くにも…
個人としてではなく、サークル代表という形なんで、ヘルメットメインな記事になりそうです。
にしても…カメラを前にするのは苦手だな〜(^^;)
レンズが潰れる、じゃなくて(笑)カメラの前に立つと硬くなっちゃうんで…
撮るのも撮られるのも嫌いじゃないけど、どうも畏まった写真だけはな〜
証明写真も、度々撮り直してしまうしね…
さて、今日は市民ボランティアの忘年会o(^o^)o呑むぞ呑むぞ〜♪
Posted by K.F.@ at
04:22
│Comments(2)
2007年12月10日
湖東焼

昨夜に続き湖東焼の解説を・・・
(前回)
何故この様な焼き物が彦根に…?
元々は件の絹屋半兵衛が、独自に生産を続けていたのですが、
その芸術性の高さや、藩内のブランド品として井伊家彦根藩の目に留まりました。
大まかに分けると民窯時代が60年、うち20年間は藩窯として
時の藩主、井伊直亮(直弼の兄)と井伊直弼、直弼の息子の直憲の三代に渡り
彦根藩の援助の下焼き続けられたのです。この時期に名器と呼ばれる作品が生まれたとされます。
※その当時の作品は、彦根城博物館・彦根「たねや美濠の舎」内『彦根藩湖東焼 美濠美術館』
にてご覧いただけます。
藩主に愛されただけでなく、その優美さから江戸幕府・朝廷等への貢物としても重宝されたとされ、
もし絶えることなく焼き続かれていたなら、「湖東」と
言えば日本有数の陶器として定着していたかもしれません。
しかし、幕末の激動の変化は湖東焼の運命をも飲み込んだのです。

安政7年3月3日(1860年3月24日)、桜田門外の変で井伊直弼がその生涯を閉じます。
「強硬な開国論者」として志士達に、また勅許(天皇の許可)を得ずに開国を行ったとして朝廷と幕府に
「逆臣」とレッテルを貼られた直弼、そして残された井伊家はそのまま大政奉還~明治維新前後の激動の時代を迎えます。
そんな最中に藩からの援助も打ち切られ、また陶芸家達も政情不安の彦根を発ちます。
湖東焼はその姿を消すこととなったのです。
そして時代の片隅に記録されるのです・・・が
現在NPO 湖東焼を育てる会が彦根市内に発足、
陶芸家の中川一志郎さんと武田克史さんの両名を始めとする方々により再興へと動き始めたのです。
150年の時を経て、生まれたのが「しまさこにゃんぐい飲み」を始めとする再興湖東焼なんですね。
これらの再興湖東焼の数々は、市内キャッスルロードの一志郎さんのギャラリーにて観覧・購入が出来ます。
また、絹屋半兵衛の視点から湖東焼の歴史を追った作品「藍色のベンチャー」という小説もあります。
関心をお持ちになられた方、是非ご一読下さい^^
Posted by K.F.@ at
01:15
│Comments(3)
2007年12月09日
ジョン・レノンを知らない世代
湖東焼のことを明日にでも書きます
といいつつ
いてもたってもいられず筆を取った次第。
今日はジョン・レノンの命日なんですね。
ラジオで聞いて改めて認識。
しかし、私にはどうも実感がない。
何故なら、彼の生きた姿を、時代を見ることは出来ても
その空気を、時間を味わったことがないからで、
国家に、権力に潰される恐怖を知らず
その闇から歩きだそうと言うジョンの姿を知らず
ともに悲しみ、憂い、喜び、愛することも知らず
そして、ジョン・レノンがこの世から旅立ったという
悲しみと喪失感を
そして、そこから立ち上がる勇気を
知らないからである。
それは私にしてみれば、信長や山本五十六、井伊直弼と同次元の話なのだ。
ジョンの慈愛と、静かな怒りと
彼を愛した人たち、今でも愛し続ける人たち
ジョンの姿があって初めて、生きる実感を抱く人たち
それさえ金にする人たち
そんな風に、酔っぱらった私の目には映る。
ジョンは死んだが、その志は今も人々の胸の中に生きている、と何十何百と聞いた。
今頃空の上から、現世をどう見てるのか。
空の上でも、愛を説き続けているのか。
それもまた、混沌の現世での理想でしかないのだろうか。
そんなことを思いながら
眠たい目を擦る私なのである。
大事な人を失って初めて
得る心境なのだろう。
そんな私は
ジョン・レノンを知らない世代なのである。
といいつつ
いてもたってもいられず筆を取った次第。
今日はジョン・レノンの命日なんですね。
ラジオで聞いて改めて認識。
しかし、私にはどうも実感がない。
何故なら、彼の生きた姿を、時代を見ることは出来ても
その空気を、時間を味わったことがないからで、
国家に、権力に潰される恐怖を知らず
その闇から歩きだそうと言うジョンの姿を知らず
ともに悲しみ、憂い、喜び、愛することも知らず
そして、ジョン・レノンがこの世から旅立ったという
悲しみと喪失感を
そして、そこから立ち上がる勇気を
知らないからである。
それは私にしてみれば、信長や山本五十六、井伊直弼と同次元の話なのだ。
ジョンの慈愛と、静かな怒りと
彼を愛した人たち、今でも愛し続ける人たち
ジョンの姿があって初めて、生きる実感を抱く人たち
それさえ金にする人たち
そんな風に、酔っぱらった私の目には映る。
ジョンは死んだが、その志は今も人々の胸の中に生きている、と何十何百と聞いた。
今頃空の上から、現世をどう見てるのか。
空の上でも、愛を説き続けているのか。
それもまた、混沌の現世での理想でしかないのだろうか。
そんなことを思いながら
眠たい目を擦る私なのである。
大事な人を失って初めて
得る心境なのだろう。
そんな私は
ジョン・レノンを知らない世代なのである。
Posted by K.F.@ at
03:07
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